落花流水【 愛燦々と! 】

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help リーダーに追加 RSS 【落花流水 私日記(101): 未来は私たちを必要としているか 】 

<<   作成日時 : 2008/10/13 17:01   >>

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〈第百一回〉 《 H20.10.07-H20.10.13》  

 アンチエイジング 

10/07
 早すぎる死

 早朝、TVのニュースで「緒形拳」の“死”がいっせいに報じられた!
 今週の木曜日には、倉本聰の富良野シリーズ集大成となる『風のガーデン』が放送される予定だ。
 この作品が、緒形拳の遺作となってしまった。

 1965年に、NHK大河ドラマ『太閤記』の主役に抜擢され、一躍人気スターの仲間入りを果たした。
 その後も、テレビの人気シリーズ『必殺仕掛人』の藤枝梅安役は印象深い。
 なかなか得がたい性格俳優で、カリスマ性を魅せてきた。

 時代の英雄、刑事、犯罪者、仕置き人、好々爺・・・昭和、平成の芸能史に多くの名作を残した名優であるだけに早すぎる死が惜しまれる。

 ポール・ニューマンが先日亡くなったばかりである。
 昭和の名優がまたひとりこの世を去ってしまった。

 津川雅彦さんのブログによると、緒形さんは4日夜に栃木県壬生町の獨協医大に入院し、5日朝に手術。
術後の経過も良かったが、午後になって容体が急変したという。
 同日午後7時ごろに病院に到着した津川さんは、当時の様子について「ベッドの上のガタは嬉しそうに手を出してきてくれたので『仕事!全部終わったのかい』と聞いたら『終わったよ!』」などという会話をつづった。

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 最後に津川さんの手を握りしめながら「『お前身体大事にしろよ!良い映画沢山創ってくれよな!治ったら、うなぎ喰いに行こうな、白焼きをな』と冗談を交えて、医者に危篤を宣言されている患者とは思えない、明るいせりふを残して、その4時間後には歌舞伎役者のように、虚空をにらみつけながら、静かに、息を引き取った」と臨終の様子を記した。

 何歳で死のうと、人間は死の前に幾つかのことを点検しているのではないだろうか?
 彼は、沢山のおもしろい映画に関わって来たことを思い出していたと思う。
 人並み以上に優れた感性で観衆を魅惑した。
 尾形拳は自分の俳優人生に納得して、死んでいったと思う。
 それは彼が自分の病気のことを一切口外させなかった事からも分かる。

 そうありたいものだ。



10/08
 本当の気持ち  
  昨日のニュースはノーベル物理学賞を日本人3人が受賞したことだろう。

 30年以上、ノーベル賞の候補にあがり続け、物理学の最先端を走り続けてきた南部陽一郎さん。
 その背中を追い、新たな世界を開いた小林誠さんと益川敏英さん等が、一夜明けた8日、改めて喜びをかみしめたインタビューを見せた。

 老人性涙腺軟弱症

 「あまりうれしくない」「過去の仕事」と、前日にクールな発言が目立った京都産業大教授の益川さんだが、8日朝に同大学で開いた記者会見では一転、涙を流した。

 南部さんについて聞かれた時だ。
 「これまでずっと仰ぎ見ながら研究してきた南部先生と一緒に受賞できるのは、最大の喜びです」
と、声を震わせながら言葉をつなぎ、めがねを外して涙をぬぐったのだ。

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 やはり、本当は嬉しくてたまらなかったのだ。
 照れ隠しで「あまりうれしくない」と言ったのだろう。
 人柄が表れていて好感がもてた。
 人は素直に喜びや悲しみの感情を表したほうがいい。

 若手研究者だった頃、南部さんが60年に書いた論文を「しゃぶり尽くすほど勉強」したという。
 「ノーベル賞を一番最初に受賞するとしたら、南部先生だと思っていた」と答えていた。

 涙の理由を問われ、「老人性涙腺軟弱症ですね」と照れを隠すように答えたのが印象深い。

 8日朝、報道陣に「子どもたちに何か一言」と促されると、
 「すごいことが起こっているということだけが伝わればいい。」
 「知ったかぶりをすることが大切。そのうち分かるようになる」
 と語った。

 なかなか言えない言葉である。

 小林さんもまた、「大変重い賞をいただいた。重さの方を強く感じる」と話した。
 そして、大先輩との同時受賞が「何よりもうれしい」と笑顔で語っていた。

 それほど、南部博士は偉大な存在である。
 日本人で南部博士を知らない人が多いのが残念である。
 私に言わせれば、江崎玲於奈氏なんかより とてつもなく偉大な人だ。

 その、南部博士は「若いころは受賞を期待していたころもあった。 だが30年以上、『候補の一人だ』と言われ続けたので『特に今年に』と思ったことはなく、とても驚いた」などと素直に喜びを語っっていた。

 とても素晴らしい人だ。
 授賞理由になった「対称性の自発的破れ」について説明を求められた南部さんは、「説明は難しいですね」といいつつ、
 「(ばらばらな方向を向いていた)大勢の人が突然、私の方向を向いたりする。そういうことなんです」

 などとユーモラスな身ぶり手ぶりで話し、笑いを誘った。
 長年、アメリカで研究を続けてきた人だけにユーモアにも溢れている。

 また「退職して16年ほどになるが、私の仕事は未解決の問題を解くこと。死ぬまで続けたい」と研究への強い意欲も見せた。

 素晴らしい!の一言に尽きる。
 これからの若い人たちへの最大の励ましの言葉だ。
 幾つになっても衰えない研究姿勢を学びたいものだ。


10/09
 子供というもの

 久しぶりの快晴。
 夏以来しばらく会っていない次女の子供の顔を見に鎌倉まで出かける。
 3歳になる幼稚園年少と2歳の孫だ。

 家に着くと2歳の孫のほうは最初はキョトンとしている。
 私たちの顔の記憶が瞬間的に出てこなかったのだろう。

 だが、家の中に上がりこんでしばらくするともう遊び相手だ。
 男の子は動きが激しい。

 お外で遊ぼうというので裏山のほうへ行く。

 秋の野原には黄色や白い蝶が舞っている。
 ここには黄金蜘蛛がたくさん巣を張っている。

 黄金蜘蛛を見せてあげようとすると「怖い!!」と言って、目をそらす。
 ダチョウの「頭隠して尻隠さず」ではないが、顔だけ後ろを向いてしまう。

 子供の頃から自然の動物をきちんと自分の目で見る事は大事だ。
 私が棒切れで蜘蛛を取って、猫じゃらしの穂に蜘蛛を乗せて見せてやる。
 「怖くはないよ・・・・」と言って見せると少しずつ慣れてきた。

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 持たせると、もう怖がらないで持てるようになる。
 こんなものだ。
 恐怖心も知らないから生じる。
 怖くないと思わせることが必要である。
 これで、2歳児は一つ賢くなった。

 2時半過ぎに幼稚園児のほうが帰ってきた。
 直ぐに驚いた風で「どうして来たの?」と聞く。
 「慶太と亮輔に会いたかったから来たんだよ」と、言うと
 「もっと早く来ればよかったのに〜〜」という。

 自分が今、幼稚園から帰ってきたばかりなのが分かっていない。

 まだ、時間感覚が出来ていない。
 子供の時間感覚は何歳になったら出てくるのだろう?

 帰るときになって、「泊まっていけばいいのに〜〜〜」と言って残念がる。
 孫は可愛い。


10/10
 エッセイを超えている

 須賀敦子さんの『ヴェネチアの宿』。
 このエッセイは、エッセイを超えていると思う。

 もう15年年以上も前に出版されたこの本。
 素晴らしいの一言に尽きる。

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 例えば「カティアが歩いた道」。

 「しばらくパリに滞在して、宗教とか、哲学とか、自分がそんなことにどうかかわるべきかを知りたい。
 今ここでゆっくりかんがえておかないと、うっかり人生がすぎてしまうようでこわくなったのよ」

 彼女は思う。
 人は一緒にどれだけの時間を過ごしたかではなく、また、どれほど遠く時と場所が隔たっていたとしても、人は人と結びつけるものなのだ、ということを・・・
 若くしてこれだけの思索が出来る人は、今は少なくなったような気がする。


 不意に蘇る「気難しい暴君」に思えた父の記憶から始まって戦時下の勤労動員の頃・・
 フランス、イタリア留学へと、記憶が蘇る。
 それは、最後の「オリエント・エクスプレス」における父の死につながっていくのだが・・・
 構成が鮮やかで素晴らしい。


 時折出てくる比喩のみごとさも素晴らしい。
 例えば「ヴェネツィアの宿」

 夜中のヴェネツィアに響く教会の鐘の音を、「まるでうつつをぬかしたような鳴り方だった。」。
 そして、「その鐘の音を、冬の夜、北国の森を掛けぬける嵐のような拍手が追いかけた。」

 「寄宿学校」において、寄宿舎で過ごす日々のことを次のように表現する。

 「私たちは、はじけそうな反抗心と好奇心につきあげられるようにして、まるで夏の海で波乗りに時間の経つのを忘れる少年たちのように、嬉々として挑んでいった。」

 彼女の文章はどうしてこの様に優雅なのだろう。
 流れるような文章の底には、知的な女性が自立して生きようとする姿が見えてくる。

 留学する日々の中で、彼女は「女が女らしさや人格を犠牲にしないで学問をつづけていくには、あるいは結婚だけを目標にしないで社会で生きていくには、いったいどうすればいいのか」を考えるのである。

 人生を本当に真剣に考え、行動して生きた人だ。
 須賀敦子さんの本に出合えた事を嬉しく思う。
 もう少し早く出会いたかった。

 今「トリエステの坂道」を読んでいる。


10/11
 アンチエイジング 

 午後から かずさDNA研究所の 開所記念講演会に出かける。
 今回は14回目の講演会だそうだ。

 テーマは
 1.アンチエイジング医学最前線
         白澤 卓二 順天堂大学  加齢制御医学講座 教授

 2.遺伝子組み換え植物と我々の生活
         大石 道夫 (財)かずさアDNA研究所長

 国際暁星高校の生徒がたくさん聴講に来ていたが、殆どは熟年の参加者だった。

 アンチエイジングの目的は、若々しくエイジングすることによって長寿とサクセスフルエイジングを獲得する事。
 そのための実践は、食事と運動と生きがい であるという。

 たしかにそうであろう。
 食事が大切な事はよく分かる。
 白澤氏は 『カロリー制限で寿命が延びる』 という。
 栄養素を確保して、カロリーだけを70%に制限する事によって若々しくエイジングできると・・・・
 もちろん栄養不足や偏った食事が駄目な事は当然である。

 もう一つは、日常的な身体活動の必要性。
 当然だろう・・・

 そして最後に『心のアンチエイジング』
 心の中に自分のエベレスト(生きがい)を見つける事だという。
 そして『ときめき』が必要だと・・・
 ときめきがないと心が老化する。

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 それは恋心とも言えるし、高く遠い夢を持つことだともいえる。

 歳を取るほど魅力的で深みのある人生をおくること。
 生きる喜びを感じる事である。

 ただ、曽野綾子さんが書いているように 「人は皆、その年齢ほどに見える」 ということが大事だ。

 流行の美容整形や美顔手術によって、取り繕って若く見せている人がある。
 名古屋の某有名な料亭の女主人を真横で見た事があるが、見た目は40歳。(御歳は7*歳)
 でも、手は見るに耐えない老女の手だった。

 食品偽装問題がやり玉になっているが一番の偽装は女性の整形ではないかとさえ思う。
 その人は顔だけが若かったが他のところは隠せなかった。
 相対的には、その年に見えるということだ。
  (以前書いた 森光子さんの不自然な表情は 可哀想ですらある・・・)

 だが、そのことは自然なことであって、年と余りにもかけ離れた肉体を持っていたら異常なのである。年相応に見えるということは、自然であるのだ。

 アンチエイジングは整形でないところが素晴らしい。
 自分の努力で身体の中から若返るのだから・・・

 再出発の力をまたもらった。


10/12
 アンチエイジング再考 悠々自適?

 昨日のかずさDNA研究所の公開講座に引き続いてアンチエイジングについて考えてみた。

 我々が一応の社会人としての勤めを終えて引退したあと、「悠々自適」したいという人がある。
 もちろん、それは個人の自由であるし悠々自適するのはいいが、考え方が違ってはいないか。

 というのは悠々自適という言葉どおりの生活はありえないのではないかと思うからだ。
 私たちが、自分の心のままに暮らそうとしたら、まず社会と人間の係わりを捨ててしまわなければ成立しないからだ。

 本気の「悠々自適」は、自己完結型でなければならない。
 人の世話になりながらでは、悠々自適とは言わないだろうから・・・
 年金が多いの少ないのと言っていては悠々自適とはいかない。

 それは、厳しく自己制御のできる人間しか出来ないことだ。
 つまり一人でも住める心身の能力を有することである。
 生活において節制し、常に訓練をしておかなければできっこない。
 自分の家に引きこもり、妻にあれこれ指図していては成り立たないのが悠々自適だ。

 だが現実に引退した後に待っている生活がある。
 その時には、出来るだけ他人に迷惑かけないようにすることだ。
 そのためには日頃の訓練と節制が大事だ。
 そしてそれには、やはりアンチエイジングが必要なのだ。

 それは、夫も大いに家事をすることから始まるのかもしれない・・
 現役時代は偉い地位にいたのだから、掃除機を掛けたり皿洗いなどのくだらない仕事は出来ない、と思うようでは悠々自適どころか惚けにつながるだろう。

 指を使わない・・・
 筋肉を使わない・・・
 
 それがボケにつながる。
 『食事と運動と生きがい』がものをいう。

 定年後は悠々自適したいなどと思わずに、動き回る事だ。
 そうしなければ、結局は自適どころか不自適になってしまう。

 自分のしたいことがわからない・・
 本も読まない・・・
 自分に必要な身の回りの家事一切ができないでは済まされないだろう。

 だが、それは心がけ一つですべてできる。
 すべて自分が主体となって行動すればいいのだから・・

 健康な人は、他人が自分にしてくれることを期待しないようにしたいものだ。
 正常な精神の持ち主であれば、人に尽くしてやることが、大人の人間のすることだと分かるはずだ。
 自分でものを考える。
 自分で動き回る。
 それだけで、世の中が変わってくる。

 人からの施しをどれだけ受けなくて済まされるか・・・
 それが例え老人でも病気で死を間近に迎えようとしている人でも・・
 その原則は生きているはずだ。

 つまり運命の半分は自ら作るものなのだという自覚を持つ必要があるだろう。
 人生は全て自分が切り開くものなのだから・・・


10/13
  未来は私たちを必要としているか? 

 10/11の、かずさDNA研究所開所記念講演会 第2テーマの、『遺伝子組み換え植物と我々の生活』は考えさせる問題だ。
 講演者である(財)かずさアDNA研究所長の大石 道夫氏は 伝道師の役目を背負っての講演だった。
 遺伝子組み換え食物に対する啓蒙といった感じである。

 私個人としては彼に組する。
 歴史を見れば結局このような新しい技術は人類に利用されるようになるのが定めなのだから・・・

 ここに、この問題を考えさせる本がある。
 フリーマンダイソン著の『 反逆としての科学 』である。

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 その中の、第3章『未来は私たちを必要としている』を少し引用する。

引用

 最初は、『ワイヤード』誌に掲載されたビルの論文からの引用だ。

 遺伝学とナノテクノロジーとロボットエ学(GNR)という21世紀の科学技術は、非常に強力なので、まったく前例のないような種類の事故や濫用を招きうる。
 とりわけ危険なのは、史上初めて、そうした事故や濫用の大半が、個人や少数集団の行動範囲にも入ってきた点である。
 21世紀の科学技術は、大型の施設や稀少な原材料を必要とせず、知識のみで利用可能となるからだ。
 したがって、われわれはたんに大量破壊兵器ばかりでなく、知識の力による大量破壊(KMD)の可能性に直面している。しかもその破壊力は、自己増殖能力によって大幅に増大した。
  われわれは極度の害悪を新たな完成度にまで高める寸前であると言ってもけっして過言ではなかろう。
 大量破壊兵器は民族国家に力を与えたが、この害悪の可能性はそのような範囲をはるかに超えて広がり、過激分子のひとりひとりに力を与えるという、驚くべきかつ恐るべき事態につながるのである。


(略)

 満足に理解されていない仮想の危険には、どう対応するのがふさわしいのか。
 大衆の健康に有害な要因や環境に対するリスクを評価・管理せざるをえない状況の例に漏れず、この場合も、ふたつの真っ向から対立する立場が見られる。
 一方の立場は「予防原則」に基づいている。
 予防原則によれば、大惨事が起きる危険があるときは、その危険を増すような行動はいっさい許されないということになる。
 ある行動が相当な利益をもたらすと見込まれているものの、大惨事が起きる危険をともなうということはよくあるが、その場合、利益をもって危険を相殺することは許されない。
 大惨事の危険を孕む行動はすべて禁止されるべきであり、禁止のコストは度外視しなければならない。


 それとは対立する立場の人は、こう主張する。

 リスクは避けがたく、どんな行動をとろうと、控えようと、リスクを排除するのは不可能であり、リスクと、それにともなう利益やコストを天秤にかけ、それに基づいて行動するのが思慮深い態度だ。
 とりわけ、危険な科学と科学技術の禁止を考えるときにはかならず考慮に入れなくてはならないコストのひとつが、人間の自由に対するコストだ。


(略)

 DNA組み換え実験は、1975年にDNAの断片をつなぎ合わせる技術が発見されると、多くの国で始まった。マクシン・シンガーとポール・バーグというふたりの一流生物学者が、危険が慎重に評価されるまで、そのような実験はすべて一時的に見合わせるよう呼びかけた。公衆衛生に対する明白な危険があったからだ。

 たとえば、もし致死性の毒素の遺伝子が人間のあいだに遍在しているバクテリアに挿入されたら大惨事になる。世界中の生物学者がこの呼びかけにすみやかに賛同し、いたるところで実験が10か月間停止された。その10か月間に、国際会議が2度開かれ、どのような実験が許され、どのような実験が禁じられるかを示すガイドラインが策定された。そして、このガイドラインに沿って、さまざまな程度のリスクを孕んではいても実施が許される実験のために、物理的・生物学的制限の規則が打ち立てられた。

 最も危険な実験は即座に禁じられた。
 生物学者たちは、こうしたガイドラインを自主的に採用し、ときおり新しい発見がなされるたびに修正しながら、以後ずっと遵守している。
 その結果、過去25年間、実験のせいで人々の健康に深刻な害が及ぶような事態は一度として起きていない。これこそ責任ある市民的行動の輝かしい実例であり、科学者が大衆を害悪から守りつつ科学の自由を維持するのが可能であることを雄弁に物語っている。


 これは思想の問題だ。彼らはそう考えている。
 「予防派」と「自由派」のどちらを取るか・・

 その点に関し以下の次のように言う。

 ミルトンが『アレオパジティカ』を書いた1644年。
 この時代には、書物は魂を腐敗させるばかりか、肉体をもずたずたにした。
 書物を世の中に自由に流通させるのは、取り返しがつかぬ結果だけでなく致命的な結果さえもたらしかねない危険を孕んでいた。
 だがミルトンは、たとえそうであってもその危険は受け入れなくてはいけないと主張した。

 ミルトンは、次のように述べている。

 人間ばかりか書物の行状にも警戒を怠らぬことが、教会と国家において最重要事項であるのは私も否定はしない。 
 警戒をし、そのうえで、拘束し、監禁し、厳罰に処すべきである。---
 書物は生命力にあふれ、途方もなく生産的な点で、架空のドラゴンの歯さながらであり、あちこちにばらまかれれば武装した者たちが飛び出してきかねない。


 ミルトンが言っているのは、書物を「有罪」とし、「監禁」するのは、何らかの害を及ぼしてからでなければならない。
 ミルトンが容認しがたいと宣告したのは、事前の検閲であり、書物が日の目を見ることさえ禁じる行為だった。
 ミルトンはこの件の核心に踏み込み「善悪いずれかは不確かながら、どちらにも等しく働きうる事物」を統制する困難に触れる。


 仮に、この方法で罪悪を駆逐できるとしよう。だが、それによってどれだけ多くの罪悪を駆逐しても、同時に同じだけ多くの美徳を駆逐することになるのだ。
 なぜなら、両者の素材は同一だからで、その素材を取り除けば、両方を等しく取り除くことになるのである。

 ここに神の高邁な摂理の正当性が立証される。
 神はわれわれに節度と正義と自制を命ずるにもかかわらず、われわれの目前に望ましいもののいっさいを、あり余るほど積み上げ、あらゆる限度と飽満を知らずにさまよいうる心をお与えになる。

 それなのになぜ、われわれは神と自然の流儀に反するような厳格さを用い、書物を奪い取ったり減らしたりしなければならないのか。
 書物は自由にさせれば、美徳の吟味と真実の実践のための手段たりうるというのに。善悪いずれかは不確かながら、どちらにも等しく働きうる事物を制限する法律は、かならずやつまらぬものであることを、われわれは学ぶべきである。


 遺伝子組み換え食物の問題だけにとどまらない。
 我々はこの時代にどちらの方を取るかの選択に迫られている。



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